つきじだより

つきじだより3(臨時)

今年度、第49回フローレンス・ナイチンゲール紀章を受賞された今村節子様は、98才になられる大先輩で、長く鹿児島でご仕事をされています。同窓生の中でも、ご存知の方が少ないかもしれませんので、私のわかる範囲で、少しご紹介したいと思います。

1947年(昭和22年)に聖路加女子専門学校を卒業されています。戦時中に鹿児島から上京して、聖路加で学ばれたことになります。卒業後はGHQによる東京看護教育模範学院(聖路加女子専門学校と日本赤十字女子専門学校の合同の学校で、場所は赤十字。当時聖路加はGHQに接収されていました)で、聖路加側の教員をされていました。その後鹿児島に帰られたようですが、湯槇ます先生が呼ばれたのでしょうか、東京大学医学部衛生看護学科(以下衛看と略す)で、湯槇先生達と一緒に教員を務められました。

我が国の、看護の高等教育の先鞭となった場所で教育を受け、仕事をされ、看護学の創成時代の困難を体験された方です。

東大の衛看は1953(昭和28)年に、戦後の看護学教育では、2番目の大学教育として設置されました。創設されてから、いかに「学」とするかの格闘をされたお一人だと思いますが、1960・61年(昭和35・36年)に、呼吸運動に関する研究論文を5報*出しておられます(旧姓です)。生理学的根拠を示して看護をつくる、看護を科学として成立させるという思いで、仕事をされていたことが結実したものと思います。私が同じような発想で仕事をしていたのを見て、昔別刷りをお送り下さったので、ご紹介します。

*宮内節子(1960):呼吸運動に関する研究第1報日本人の呼吸型.民族衛生26(1)68-74./宮内節子(1960):呼吸運動に関する研究第2報安静呼吸時の胸部運動と腹部運動について.民族衛生26(1)75-78./宮内節子(1960):呼吸運動に関する研究第3報呼吸型運動の恒常性.民族衛生26(1)79-85./石河利寛、山川純子、宮内節子(1961):気管支喘息の呼吸運動曲線.民族衛生27(1)11-17./宮内節子(1961):呼吸運動に関する研究第4報重複撮影による呼吸型の検討.医学研究31(2)46-51.

呼吸に関する一連の研究から、呼吸困難時の起座呼吸の有用性を導かれたようです。もちろん看護学の学会もなかった時代です。看護を学とする道の先達でいらっしゃいます。

その後、鹿児島に帰られ、ご結婚、お子様が生まれても、仕事を続けられました。この時代には珍しかったことと思います。鹿児島でのお仕事は存じ上げていないのですが、看護教育と鹿児島県看護協会;つまり、鹿児島の看護のディスプリン全部をリードしていかれたのではないかと思います。そして私財を投じて一般社団法人を立ち上げられ、看護学生への奨学金や、保健・予防活動の研究費を提供され、今では公益社団法人**に整備されたと伺っています。教育・ヘルスケア振興節英会のホームページで、理事長であるご子息がお母さまのことを書いていらっしゃるので、是非ご覧ください。

公益社団法人教育・ヘルスケア振興節英会

(2023.6文責菱沼)